2013/04/14

Once I was stranger


「An American in Paris」という有名な映画や歌がありますが、
これをNYにいた時の自分に置き換えると、
「A Japanese in NY」ではなく、
「A Japanese "IMMIGRANT(移民)" in NY」って感じだ。

「NYに住んでいました」なんでいうと華やかなイメージを持たれがちだが、
日本にいると見えないところもある。光が強い所は影も濃い。

前回の記事にも書いた通り、私は移民の中に混ざって生活していた。
あいにく周りに気の合う日本人があまり見つからなかったので、
代わりに仲良くなったのは韓国人や中国人、日系人の友達。
彼らの強いコミュニティの力で、困ったときはいつも助けられてきた。

彼らのほとんどは、幼い頃家族でアメリカへ移民してきた人達だ。
母国の生活が何らかの原因で不便があり、アメリカの新天地で
新しい生活や仕事を切り開いて来た人達。

移民としてNYに暮らすことは本当にタフ。
何かと人種差別を受けるし、
重要な公的手続きは後回しにされるし、
英語ができないとやっかいもの扱いもされる。

それでもお互い助け合って異国の地でどうにかやってきた人達は、
ほんと〜〜に賢く、移民の人向けに様々なサービス業をしている。


● NY中華街〜ボストン中華街$10バス(当時)
(一般の長距離バスではボストンまでは約$50はかかる)

● 学生アルバイトの平均$20ミニバン引越屋(当時)
(学期が終了すると引越をする学生が多いため)

● 格安空港送迎タクシー
(空港敷地内に入ると使用料が発生するので、手前で降ろしてくれる)

● 韓国系ショップでの大幅割引

などなど、今もあるかは不明だけど、こういう数々の恩恵(サービス)
を受けられたのは友達からの情報のおかげである。
これらは同じ国出身でなくても、知ってれば誰でもお願いできる。

何故かこういうサービスって日本人コミュニティにはない。
思うに近年NYに移り住んでいる家族はご主人の赴任が多く、
一時的な滞在だし、会社が全て用意してくれるから不便がないからでは?

そんなことを思い出したのは、イタリア映画「海と大陸」。
イタリアの小さな島に暮らす家族と、
アフリカから命からがら脱出した親子の物語。

「明日が見えなくても、人間としていかに真摯に生きるか」

今考えるとNYに来た理由は、「自国を脱出するしかなかった」という
私にも似たような経緯があるから、移民コミュニティにすんなり馴染めたのかも。

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